2018年5月10日木曜日

Jane’s Walk in Tokyo - Kagurazaka 2018


Jane’s Walk in Tokyo - Kagurazaka 2018                                       
2018428日(土) 11:00-16:00
City Organizer - Shunji SUZUKI
サポート:NPO法人粋なまちづくり倶楽部
集合場所:東京理科大学森戸記念館

2018Jane’s Walk in Tokyo は神楽坂及び周辺地区を舞台とし、6名の案内人による6つのコースで行われました。参加人数は合計33名でした。初めにオルガナイザーからジェイン・ジェイコブスについて紹介するレクチャーがあり、その後案内人からテーマとコース紹介があり、参加者は好きなコースをひとつ選びまち歩きを開始しました。少人数だったので、歩きながらお互いに様々なコミュニケーションができました。まち歩きの後、全員が集まり、気づいたこと・発見したことなどを発表し終了しました。

各コースの概要と「気づき」は次のとおりです。

テーマ【コミュニティ】 案内人:藤野貴之
ルート:ポルタ神楽坂~花柳界~アトラス神楽坂~東五軒町あたりのマンション・白銀公園~赤城神社~赤城下町・あかぎ児童遊園~一水寮~パークリュクス~寺内公園
気づき
●アトラス神楽坂
-同潤会でのコミュニティを継承したコモンスペース(集会所・中庭・屋上庭園)は機能、デザインとも秀逸。しかし、この時代では仕方がないかもしれないが、住民以外がこの空間に入れないし気づけない。(向かいのマンションは借景として楽しんでいるようだ)
●赤城神社、パークリュクス
-建設時の経緯を日置さんより説明を受ける。赤城神社の事例があったのでパークリュクスのギャラリー、休憩スペースもできた。そういった経験を継続・拡散していくやり方がコミュニティ空間を広げていくのには非常に有効だと感じた。
●赤城下町付近の密集住宅地
-印刷工場のコンバージョンによるカフェや木造民家を利用したスイーツ店など、このエリアの空き家などが、家賃の安い物件の供給元になっているようだ。
-変にファサーードをいじるより、潔く工場の外観のままだったり、バラック小屋のような外観の方が個性がある。神楽坂らしさという点でもよく出ていると感じる。
-防災面での対応をどうするかが課題。
●寺内公園
-神楽坂は変わっていくことを悪いと思っていない。高層マンションは今でも良いとは思わないが、変わったもの、変わってしまったものの後に対立構造を残したままにせずに、何をすべきかを考えてきたことがハード面でもコミュニティの面でも今の神楽坂を作っているのではないか。

テーマ【漱石探訪】 案内人:増井敦子
お1人参加でしたが、漱石を目的に参加、その為に事前に本も読まれていて、粋まちのボランティアさんなので、今後に置いて役立つと良いかなと思い、この街の雑学も交えて、楽しくガイドさせて頂きました。
ルート
Ÿ   緑香園で、お食事をしてその際に、漱石と関わりの有ったお店を田原屋、尾沢薬補、毘沙門様を紹介して、神楽坂通りからスタート。相馬屋~寺内公園~和良だな寄席跡~丸岡陶苑~芸者新道~料亭末よし跡~軽子坂~揚場町~かくれんぼ横丁~小栗横丁(泉鏡花、北原白秋旧居跡)~理科大近代科学資料(ここで漱石と理科大の関わりビデオ鑑賞)(若宮町を通り抜けて)中町の宮城道雄記念館門前~袖摺坂~芸術倶楽部跡~尾崎紅葉旧居跡(鳥居邸)~矢来町新潮社跡(鏡子夫人実家跡らしき中根家跡)~矢来能楽堂~矢来公園(小藩邸跡、杉田玄白誕生地)~泉鏡花旧居跡~多聞院(松井須磨子の墓)~漱石山房~漱石終焉の地は口頭説明~東西線、早稲田より乗車、神楽坂を目指す。
Ÿ   歩行時間 2時間10分、距離、2.5km
 感想
Ÿ   参加者が、比較的お若く健脚でしたので、漱石以外にも神楽坂ゆかりの場所を、人を探訪する案内となりまして、その大半が路地、住宅街の中に点在。大きな通りの1本の道を歩いているのとは異なる入り組んだ道、路地、住宅街に、徳川武家社会が整備したこの街を、個性豊かな明治の学者、文豪、作曲家、女優等がこの街を文化の彩り濃い街とした背景を垣間みるまち歩きとなりました。温故知新、過去を振り返る事で、この街としての過去から現在に至る街の魅力を再認識するガイドとなりました。参加者も若松河田居住、生まれ育ちもこの地なので、その地に関わる文豪を再認識して、普段、表立って知れない街の魅力を再認識したいとおっしゃっていました!!

テーマ【景観】 案内人:西谷正
コース等
    (1) 開始後「縁香園」にて昼食をとりながら、神楽坂の概略の歴史等についてレクチャー。江戸時代~明治・大正~戦前~戦後(復興)~平成
    (2) 食後、配付資料の地図・写真をもとにまち歩き          毘沙門天~藁だな~五十鈴~坂上交差点~神楽坂駅付近~赤城神社~大久保通り(拡幅の話)~高照寺~最高裁長官公邸跡~若宮神社~小栗横丁~熱海湯階段~丸岡陶苑~陶柿園~志満金~神楽坂下交差点~JR飯田橋駅~芸者新道~かくれんぼ横丁~本多横丁~兵庫横丁~寺内公園~毘沙門天

感じたこと・意見 等
Ÿ   石畳の路地は神楽坂のひとつの大きな特徴でもあるので、いつまでも残してほしい。
Ÿ   「みち」が明治の頃からほとんど変わっていないことには驚いた。
Ÿ   「みち」と「まち」には密接な関係があると感じる。
Ÿ   まちの昭和の風景写真はたしかに昭和であるが、建物が変化したとはいえ、全体として大きく変わった(わからなくなるような変化)ものはないと感じた。
Ÿ   周り(千代田区の再開発事業等)は変わってきているが、その中で神楽坂が今のままでいることは、いい意味でギャップとなり、より特徴が明快になる。
Ÿ   神楽坂通り沿いの新しいビルは、まちづくり協定のなかで制限があるものの、以前から比べると高くなっていると感じる。たとえば、毘沙門天の境内から神楽坂通り方向を見たときの空の抜け方が少なくなっていると思う。 

テーマ【開発】 案内人:山本武彦
Ÿ   3つの通りを巡り、改めて神楽坂通りの賑わいを実感した。牛込中央通り、外苑東通りは人影もまばら。
Ÿ   神楽坂通りと他の2つの通りは何が違うのか。測定器で通りの幅を測ってみた。そして歩いている人を観察した。
Ø  神楽坂通り10 m   ゆっくりお店巡りをしながら歩いている。
Ø  牛込中央通り 13 m            目的地に向かって速足で歩いている。
Ø  外苑東通り 30 m  目的地に向かって速足で歩いている。
Ÿ   神楽坂通りと他の通りの違いは
  人が歩くのに心地よい道幅
  独自の歴史文化的な背景
  Eat & Walk
  お店とコミュニケーションを取りやすい雰囲気
  歴史のあるお店が点在
  狭い間口
  線ではなく面を感じる街
Ÿ   お店の間口が狭く、歴史あるお店が点在することは「ジェイコブズの 4 原則」うち、以下に通じる街の魅力と言えるでしょう。
  道路は短く幅狭く、曲がっていること
  古い建物を大切にのこすこと

テーマ【イノベーション】 案内人:山下馨
Ÿ   路地界隈~理科大近辺~奥神楽坂~裏神楽坂を散策。
Ÿ   路地界隈は古い建物多いと思ったが意外と新しい。イタリアン、フレンチなど外国の店も多数。
Ÿ   敷居が高いと思ったが、ドラマの撮影のせいか気軽に来られるまちだった。いろいろな層の人がいる。
Ÿ   建物外見そのままで内部リノベしているものが見られる。そこが神楽坂らしい。
Ÿ   奥~裏神楽坂では、ブックカフェなど複数の機能の店が多くみられた。

テーマ【大久保通り拡幅の影響を見る】 案内人:鈴木俊治
ルート 兵庫横丁~本多横丁~筑土八幡町(拡幅完成部)~拡幅後にできた狭隘敷地レストランで昼食~寺内公園~大久保通り沿いに牛込中央通り~外苑東通り~北町~森戸記念館
参加者の感想
Ÿ   道路拡幅が中途半端な形で行われている。地盤面の高低差の解消はどうするのか?いびつな道路空間であり、子どもの居場所が無い。
Ÿ   理想と現実が混在している。
Ÿ   行政は粛々とやるだけ。だめといってもそれだけではだめ。
Ÿ   50年前に住んでいた人からみると、今日のありようはどう見えるのだろうか。拡幅されたときに住んでいるのは今の人ではない。住民はまちの変化を受け入れるのだが、町の主体性はどうなるか。今は過渡期にある。
Ÿ   空き地(道路用地)のおもしろい活用はできないか?
Ÿ   地域にとっていいような形で実現されればよい。そのためには住民はどう考えていけばよいのか。
Ÿ   この状況を知って活動することは、他の町にも示唆を与える。
Ÿ   車線増加必要か?車は少ない。周辺や大久保通り周辺で渋滞ないなら拡幅の意味はない。歩道や自転車道路を拡げるというのもあり。
Ÿ   神楽坂の路地は落ち着く。大通りは落ち着かない。中国の大通りは落ち着かないし、迷う。日本の都市計画は細かいが中国はでかい。どちらがよいとはいえない。日本では時間的に長くかかりすぎて結果まちがバラバラになっている。(中国人留学生)
Ÿ   日本の伝統的な建築でイタリアレストランがあるのはおもしろい。
Ÿ   拡幅で突っ走るのではなく、住民の声も入れて見直すことも必要ではないか。







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