2017年5月21日日曜日

まちづくりの「物語」をつくる

まちづくりの「物語」をつくる
神楽坂大学講座 第176回神楽坂まちづくり住まいづくり塾
今、あらためて!神楽坂まちづくりシリーズ 第5

5/12(金)19-21時に行いました。語り手は中島直人さん(東京大学都市工学科准教授)
 です。

◆富士吉田市のまちなみと御師の家
Ÿ   鳥居のなかに富士山が見える。富士山のふもとのまち。参道の先に富士浅間神社の本家がある。この参道は世界文化遺産の構成資産となっており、鳥居から先は聖域となっている。
Ÿ   16世紀に計画的に出来た街であり、参道沿いにまち割りがされている。
Ÿ   浅間神社から先は登山道になっている。現在は登山はレジャーだが近世以前は信仰による登山だった。ここは、江戸時代から、登山の前に泊まるまちであった。江戸時代は富士講が集団で富士山にやってきて、その世話をする家が御師であり、最盛期には80件ほどあった。御師とは半ば神官でもあった。
Ÿ   御師の家は表通りからちょっとうらにある。なぜか?表通りから少し下がったところに、道に並行して流れる水路があり、それは禊の川である。そこを渡ると御師の家があり、奥へ奥へと誘う。
Ÿ   今は五合目まで車なので、このまちはスキップされてしまう。表通りからは御師の家は見えず、表通りの建物は新しく、経済成長期に出来たものである。
Ÿ   富士山は自然遺産ではなく文化遺産で登録された。御師の家には重文もある。吉田登山道は近世から同じで残っている。
Ÿ   住民に、「まちの何を誇りに思いますか?」と聞いたところ、「街全体が歴史の物語のなかにあること」という発言が、まちのデザインを考えるワークショップであり、感銘を受けた。まちが物語のなかにあり、紡がれていることが大切。
Ÿ   神楽坂でも「粋なまち神楽坂の遺伝子」という本があり、物語を伝える手段となっている。
Ÿ   地区計画やまちづくり協定は物語を刻み込んだ制度、物語がそこに表現されている。
Ÿ   まちづくりの文脈(遺伝子)を次世代に継承していくための「物語」にはどのような形がありえるか。

◆物語とストーリーと物語
Ÿ   「ストーリー」とは、「世界を時間と個別性のなかで理解するための仕組み」である
物語は、ストーリーの発現系である。人間は時間的前後関係のなかで世界を把握するという点で、ストーリーの動物である。そのストーリーを表現するフォーマット=物語に人間の脳は飛びつく。人間は物語る動物である。(出典 千野帽子 「ひとはなぜ物語を求めるのか」、ちくまプリマー新書、2017
Ÿ   語られないストーリーがたくさんあるはず。それをどうやって発掘し、表現し、共有するか。

◆根岸 この先階段ありの道
Ÿ   なんでもないような道に、この先階段ありの標識があった。車は入れるが、階段3段あり、車は入れない。これは、積極的に残している痕跡があった。そこはちょうど台東区と荒川区の区界であった。明治時代の地図で確かめたところ、そこには川があり、それが区界だった。川に下りていくところに階段があったのだった。そのように、いろいろな物語が見えてくる。
Ÿ   車を入れたくないという意思、いい意味での閉鎖性を失わないため、階段が残されたのではないか。今はマンホールが残るのみだが、歴史を見れば地形の差がわかり、川があり、そこが区界であった。そういうことがすべての場所にあるが、語られていない。

◆藤沢は、江戸時代の宿場町であっただけではない
Ÿ   旧東海道藤沢宿は、市によって街並み継承地区に指定されている。江戸時代のまちわりが残り、まちなみ伝承館も設けられた。しかし旧東海道は近世になってできた道であり、周囲にはそれ以前の道があった。縄文時代の遺跡がある砂丘などもある。藤沢には、宿場町だけではなくさまざまの歴史、道がある。そこで選択されるストーリーとされないものがある。複数の物語が輻輳する。

◆小さいおうち Virginia Lee Burton The Little House など 絵本による定点観測表現
Ÿ   まちづくりの「物語」の布石になる。ちいさいおうちを定点観測し、アーバニゼーションを批判したものと解される。定点観測した家の絵を並べるだけで物語になる。
Ÿ   The Changing Countryside , Changing Cityなども同様。横浜の「ある都市の歴史」は北沢猛先生によるもので、開港前から現代までの横浜都心部を同じ鳥瞰で見たもの。絵本による時系列表現である。
Ÿ   これらは誰に向けてのものか?専門家向けではなく市民向けであり、ストーリーを理解、共有すること、過去をしっかり理解することを目的としている。それにより、まちが語られだし、まちづくりのストーリーが生まれてくる。

◆津波の記憶と復興の意図の環境的継承
Ÿ   釜石には震災前から通っていた。山すそに張り巡らされた避難道路(津波記念道路)があり、これは釜石湊絵図にも描かれ、明治三陸津波の後に設けられた。眺望が良いので普段から市民の散歩道になっている。津波の時には縦(上)に逃げることが指示され、そこに逃げる場所があった。津波の恐ろしさと避難方向を示すため、避難道路に看板が設けられ、現在では観光ボランティアがここを紹介している。東日本大震災ではこの道で助かった人もいる。
Ÿ   ある避難案内図で、狭い民有地の階段が指示されている。そこを抜けていくと避難道路にいたるが、そこに佐々木家稲荷神社があり、そこは信仰の場所である。避難の道は信仰の道でもあった。3.11後、そこの家はなくなっていたが、外階段はあった。稲荷神社の近くに、三代前の人が立てた場所の由緒を示す看板があった。明治三陸津波から逃れた物語が書かれていた。碑や桜並木も復興の記念として残されている。
Ÿ   場所でわかることが大事、体で理解すること。避難の追体験ができる。記憶力豊かな環境の形成が復興におけるひとつの目標となる。

◆ニューヨークの取り組み
Ÿ   都市文化としてのまちづくりの「物語」がつくられながら、ニューヨークにおいてさまざまな公共空間の再編がされている。
Ÿ   NYの都市計画の歴史を、人物や事象で振り返ることができる。それはJane Jacobsから始まった。Janet Sadik-Khanらの取り組みにより、公共空間が大きく変わり始めた。
Ÿ   Robert MosesPower BrokerとしてJane Jacobsと対峙するかたちで語られるが、彼の業績も再評価されている。Mosesが主導したインフラがNYを支えている。The planetizen top 20 urban planning books of all timeのトップはJacobsのアメリカ大都市の死と生だが、Mosesについて書かれたThe power brokerも上位にある。MosesJacobsの違いは「公共善 public goods」と「共通善 common good」である。このふたりを再評価する書籍も最近出されている。Bob Dylan1961年、デビュー前にJacobsとともに、Mosesを批判する内容の詩を書いた。曲にはなっていない。
Ÿ   専門家だけが語るのではなく、いろいろな物語が掘り起こされる。A Marvelous Orderという、An opera about Robert Moses and Jane Jacobsも上演された。それらは、まちのイメージ、ビジュアルパレットとなっていく。JacobsMosesなど個人というよりもまちの物語である。都市づくりの物語がカルチャーとして蓄積され、多様な物語が尊重されることに意義がある。

【中島先生のまとめ】
今日はカルチャーの話が中心だったが、テクノロジーについてもあわせて考えていくことが必要。特に情報技術はまちの物語に触れる窓口になる。 
以上






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